人生において、とてつもない悲劇に見舞われて何もかも喪失したとき、人はどうするのか?
ただただ人生を恨み嘆き悲しむのか?
怒りに燃えて人生を取り戻そうと抵抗するのか?
あるがままに人生を受け入れるのか?
人生の喪失とエゴ
人生において、とてつもない悲劇に見舞われて何もかも喪失したとき、人は様々な反応を示す。
人生を恨み嘆き悲しむ人。
自分がなぜこんな目に遭わなければならないのか、どれだけ不幸で不公平で不当な目に遭っているのか、どれほど可哀想で哀れで悲惨な存在なのか、ということを繰り返し考えてしまう。
怒りに燃えて人生を取り戻そうと抵抗する人。
自分が喪失したものを何としてでも取り戻そうとし、喪失した原因や責任者を探し出して復讐しようとしたり、喪失したことを認めずに無理やり元通りにしようとしたりします。
あるがままに人生を受け入れる人。
自分が喪失したことを素直に認め、場合によっては感謝し、喪失したことから学び、これをきっかけに新しいことに挑戦します。
これらの反応は、それぞれエゴの表れです。
エゴとは、思いや感情、欲望や価値観などを自分の中心に置き、正しいと思い込み、自分以外のものを否定したり攻撃したりする心の状態。
エゴに気づくことが、本質の『私』を見つけるための必要な第一歩であることは、何度か書いてきた通りです。
本質の『私』を見つける
ネガティブもポジティブも、思考はエゴそのものだ。
喪失を受け入れたとき、内面から本質の『私』が光を放ち輝きを増す。
本質の『私』が行動を起こすとき、周りと調和し偶然が助けてくれる。
本質の『私』とは
自分が生まれながらに持っている純粋で無垢で美しい心。
自分が内側から湧き出す愛や喜び、平和や創造性などのポジティブな感情や行動。
自分が一体化する宇宙や神、全ての存在。
本質の『私』を見つける方法の一つは、自分のエゴに気づくこと。
もう一つは、今ここに集中すること。
まとめ
人生において、とてつもない悲劇に見舞われて何もかも喪失したとき、人はどうするのか?
ただただ人生を恨み嘆き悲しむ人。
怒りに燃えて人生を取り戻そうと抵抗する人。
あるがままに人生を受け入れる人。
これらの反応は、それぞれエゴの表れ。
エゴに気づくことが、本質の『私』を意識するための必要な第一歩。
以上、今夜の読書を終えての生な感想です。
今回もお読みいただきましてありがとうございます。
よろしかったら、また読みにお越しください。