仙台市内のビルで体験した恐怖
アラ還個人事業主の雅栄です。
私は2011年3月11日、仙台市内のビルの中で東日本大震災を体験しました。
もともと地震の多い地域で生まれ育ちましたから、揺れには慣れていたつもりでしたが、あの日は違いました。
あの日は、まるで地球が割れるかと思うほどの激しい揺れに、死の恐怖を初めて感じたのです。
幸運にも私も家族も無事でしたし、自宅も大きな被害はありませんでしたが、停電のためテレビが暫く観れませんでした。
約一週間後、ようやく電気が通ってテレビをつけたとき、私は言葉を失いました。
そこに映し出された各地の津波の恐ろしさに、身体が芯から震えた。
あの映像の衝撃は、テレビを通して見ても凄まじいものでした。
現地にいた方々の恐怖は想像もできません。
昭和8年の三陸津波と今回の震災
私はその後、昭和8年に起きた三陸津波で、命からがら逃げ延びた子供たちの作文を読みました。
その作文から、津波に追われながら逃げる恐怖感や、父母や兄弟姉妹を喪った悲しみが、ひしひしと伝わってきたのです。
その作文を読んだことで、今回の震災から10年以上経った今でも、被災地の方々の心情を理解しようとすることが大切だと思いました。
また、その作文を読んだことで、私は自分自身に問いかけました。
もし自分があの日現地にいたら、どうなっていたのだろうか?
どうやって生き延びていたのだろうか?
どうやって失ったものを乗り越えていったのだろうか?
そして、自分は今何をすべきなのだろうか?
震災から学ぶ教訓
このブログ記事を書くことで、少しでも震災の記憶を風化させないようしたいです。
そして、被災地の方々に寄り添う気持ちを忘れないように、震災から学んだ教訓を胸に刻みながら生きていきたいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございます。
よろしかったら、また読みにお越しください。