私が私の事を『私』と言うときに思い浮かべることは何か。
名前、身体、外見、家族のこと、学歴、仕事のこと、役職、趣味、持ち物、そして過去の体験に基づく自己認識etc.
それらは全て本質の『私』ではない。
本質の『私』を覆い隠してしまう鎧のようなものだ。
鎧の正体と危険性
ただのモノである鎧を私は『私』と思い込む。
無意識に思い込んでいる。
鎧とは何か?
自分が社会や他人から与えられたり、自分で作り上げたりした役割や肩書き、属性やイメージなど。
自分の本質や魂ではなく、自分が表面的に見せる偽りの自己です。
鎧は自分の心を不自由にさせ、束縛し、本当に望むことや感じること、表現することを妨げる。
自分の心を隠し、本当にあるべき姿や存在する理由を見失わせる危険な存在。
また、他人の心を遠ざけて受け入れようとせず、本当に信頼できる相手や共有できる仲間を見失わせます。
本質の『私』とは何なのか
本質の『私』とは、全ての鎧を脱ぎ捨てた後に残った剥き身の自分のみ。
ただただ静かに、そして確かに今ここに存在している。
それがエゴとは無縁の本質の『私』。
自分が生まれながらに持っている純粋で無垢で美しい心。
内側から湧き出す愛や喜び、平和や創造性などのポジティブな感情や行動。
自分が一体化する宇宙や神、全ての存在。
ではどうすれば本質の『私』を見つけられるのか?
一つは、全ての鎧を脱ぐこと。
そうすることで、自分が偽りではなく本質的な自己であることに気づき、本当に望むことや感じること、表現することを自由に行える。
もう一つは、今ここに集中すること。
それによって、自分が表面的なものではなく深いものであることに気づき、愛や喜び、平和や創造性などのポジティブな感情や行動を生み出すことができます。
まとめ
名前、身体、外見、家族のこと、学歴、仕事のこと、役職、趣味、持ち物、そして過去の体験に基づく自己認識etc.
それらは全て本質の『私』ではない。
本質の『私』を覆い隠してしまう鎧のようなものだ。
鎧は自分の心を不自由や不満や不幸にさせ、他人の心を遠ざけたり、嘘ついたり、裏切ったりする危険な存在。
本質の『私』とは、全ての鎧を脱ぎ捨てた後に残った剥き身の自分のみ。
ただただ静かに、そして確かに今ここに存在している。
それが鎧とは無縁の本質の『私』。
本質の『私』とは、生まれながらに持っている純粋で無垢で美しい心、内側から湧き出す愛や喜び、平和や創造性などのポジティブな感情や行動、自分が一体化する宇宙や神、全ての存在。
以上、今夜の読書を終えてすぐの生な思いです。
今回もお読みいただきましてありがとうございます。
よろしかったら、また読みにお越しください。